ども。鉄王です。
ようやく、読了しました。第138回芥川賞受賞作『乳と卵』。
ちなみに、芥川賞受賞作はもっぱら『文藝春秋』で読んでます。小説は1回読んだらほぼ読み返さないのと、『文藝春秋』だとほかの記事もあってお得、というのがその理由です。
さて、小説の読書記録でマインドマップはちょっと描きづらいので、テキストオンリーで。
ここ最近の受賞作の中で、読了までいちばん時間のかかった作品でした。石原慎太郎氏が選評で書いていた
一人勝手な調子に乗ってのお喋りは私には不快でただ聞き苦しい。
という感覚を抱きながら読み進めていったもので。結局、最後までその印象は変わらなかったんですよね。「それが〈川上流の文体〉なんです」と言われてしまえばそれまでなのですが、とにかく地の文が長い長い。たとえばこんな按配です。
巻子らは大阪からやってくるから、到着の時間さえわかっていれば出合えぬわけはないし、ホームはこの場合ならひとつやし、わたしは前もってきいておいた到着時間を携帯電話に入力して、通話ボタンを一回押して記憶させておいたのでその点は安心、歩きながら無数にある円柱にぴったりと巻かれたつるつるの広告を何個も何個も横切って、しかし広告に使われている老女優の着物の柄か、鏡餅なのかうさぎなのかがこれではわからないな、電光掲示板を確認してから階段を、気がついたら数えてて、登っていって、新幹線が色々を吐く大きな音によろけるくらいに圧されながらも、すぐに巻子らを見つけることができた。
(『文藝春秋』2008.3月号 p.353)
一事が万事、この調子なんですから。
しかも、こんなところに引っかかったりして。小説全体が「わたし」の一人称で書かれているはずが
それからしばらく三人は咀嚼の音、水を飲む音、食器を打つ音だけをさせてそれぞれテレビの画面を見上げ、わたしだけが神棚の具合にそわそわとしているものやから気を散らそうと、なあ、巻ちゃんが仕事行ってるときいっつも何してん、と話しかけた。
(同 p.380)
太字の部分は「しばらく三人は」じゃなくて、「しばらく三人で」だろ、と。
まあ、それでも、おもしろかったくだりもあったわけで。
たとえば、地震というのもその代表的なもののひとつであって、地震が起きた、起きましたよね、しかしその起きたときっていうのは、世界中の誰一人としてその瞬間に地震のことを考えてなかったからこそ起きたのであって、その人々の予想のほんのちょっとのすきまを狙って地震というものはやってくるとこういうわけよ、
(同 p.391)
なるほど、そんな考え方もあるなあ、と。
それはさておき。
今回も、石原慎太郎氏の選評がふるってました。
受賞と決まってしまった川上未映子氏の『乳と卵』を私はまったく認めなかった。
(中略)
この作品を評価しなかったということで私が将来慙愧することは恐らくありえまい。
毒舌、ここに極まれり。
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