ども。鉄王です。
ちょっと遅めの反応ですが、先日の朝日新聞に気になる記事があったのでクリッピング。
「聾学校、改称しないで」元生徒ら異議 割れる教委判断
聾(ろう)学校という名を残して――。こう訴える静岡県の聾者の男性からの投書が本紙「声」欄に載った。静岡県教委が「聾学校」を「聴覚特別支援学校」と改名することへの異議だった。学校教育法の改正を受けた措置だが、全日本聾唖(ろうあ)連盟は改名に反対。全国の都道府県教委の判断は割れている。
(『朝日新聞』 2008.3.10付)
事の発端になったのは、同紙「声」欄のこの投書。
「聾(ろう)学校」という名称を「聴覚特別支援学校」に変更すると昨年末、静岡県教委から通知があった。聾唖(ろうあ)団体は反対し、話し合いを重ねた。
県議会に提案するため、ギリギリになって通知があり、話し合いは打ち切られた。
私たち聾唖者は「聾」であることに誇りを持ち、「聾学校」は100年もの歴史を重ねてきた。なぜ、県教委は「聴覚特別支援学校」が適切と判断したのか。
お願いです。「聾学校」という名を残して下さい。(同 2008.2.27付〔抜粋〕)
投稿した、静岡市の山本直樹さんはこう話しています。
「聞こえなくてもありのままの自分で生きる。そんな私たちの誇りが『聾』という言葉にこもっている」と話す。「特別支援」という言葉は、聾者を支援される低い側に位置づけてしまうと訴える。
(同 2008.3.10付)
当事者が「よし」としていることなのに、なぜこんな事態が起きてしまっているのか。その答えが、行政側のコメントに現われています。
静岡県教委はなぜ変えるのか。特別支援教育課の名倉慎一郎課長は「一般に『聾』という字には差別的なニュアンスがあり、『聴覚障害』と言い換えが進んでいる」と説明する。
(同 2008.3.10付)
「差別的なニュアンス」って何? 「一般的な」の主語は誰?
コメントの文脈からは、〈一般〉の中には聾唖者が含まれているように思えないのです。結局、健常者からの一方的な上から目線。
聾唖者
↓
聞こえなくてかわいそう ←この時点ですでに上から目線
↓
だから支援しなきゃだわ!
いみじくも、「『特別支援』という言葉は、聾者を支援される低い側に位置づけてしまう」という山本さんの言葉に、その目線が表われているとしかいいようがありません。引用文にある名倉課長を糾弾するわけではないですが、「聾」=差別的 と解釈している方々は、当ブログでも紹介した『累犯障害者』をぜひ一読してほしいなあと思います。
聴者がつくりだした聾教育のなか、ろうあ者たちは知識や常識を得る機会を、どんどん削ぎ落とされている。どういうことなのかというと、いまだ聾学校では手話を公式な言語として認めておらず、口話中心の教育がなされているのだ。
聾学校では、彼らろうあ者の言語である手話は、口話を妨げるものとして、「手まね」という蔑称がある。耳の不自由な児童・生徒に無理やり声を出させ、徹底的に発音練習を強いるのだ。発音時の口や舌の形が間違っていれば、口内に指を突っ込まれたりもする。だが、声を発している本人たちには聞こえてはいない。これには、ナンセンスを通り過ぎて、滑稽な感じすらしてしまう。
《中略》
こうして、ほとんどの教科が、その分野の知識を高めるための授業ではなく、単なる発音練習の場と化してしまうのである。すべては、聴者の言葉に近づけるための訓練だ。
なぜ、そこまでする必要があるのか。それは、口話さえできれば聴者社会での就職が有利になるという発想が、聾学校側にあるからだ。
(山本譲司『累犯障害者』 p.185~186)
地球上のあまたの言語と同列の位置に手話があり、それによって成り立っている社会があることを理解していない方が、よっぽど差別的だと私は思うのですが。
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