日垣隆氏の『使えるレファ本150選』で
差別用語や差別表現は、なぜそれが差別的だとされたのか、その経過と理由をしっかり知っておく必要があります。
《中略》
差別語に関する背景を知っておくと、何が良いのか。それは――
公の場で差別語を使って他人を傷つけたり、自ら恥をかいたり、周囲に迷惑をかけたりしない、という一事に尽きます。
(日垣隆『使えるレファ本150選』 p.127~128)
とレコメンドされていた『実例・差別表現』をようやく入手した。その気になればすぐに買えるものだったのに、『eBOOKOFF』への入荷を待っていたら今までかかってしまったのだ。
では例によって、読書メモを兼ねて付箋をつけた箇所を抜き書きしてみる。
それと「童話」の世界には「教訓」が必ず隠されている。それは多くの場合、「悪いことをすると罰が当たる」という形である、その際の罰に「びっこ」や「めくら」や「おし」や「つんぼ」が使われるケースが多い。これは極めて「差別的」ととられても仕方がない。私はこのピノキオ事件で、「童話は表現に注意すべし」の教訓を得た。つまり「言い換え」と「背景説明または解説」の必要性と認識である。
(p.27)では「部落差別」とは何なのか――江戸時代、特別な地域に強制的に移住させられた「穢多」「非人」には、前者には死牛馬の処理、皮革業を主とする仕事、後者には刑場の執行役、警護を主とする仕事が強制的に与えられた。これらの仕事はみな、人々が忌避する仕事である。そのために、この特別な地域に居住する「穢多」「非人」に対し、「穢れている」「血筋が悪い」「人種が違う」等の蔑視観と偏見が醸成され、これが制度として定着し、継続されてきたために、「蔑視=差別」が一般化し、彼らは社会から排除され、劣悪な住環境に放置されて、人権差別を受けているのである。
(p.44)四つ、四本指
被差別部落の人が、歴史的に死牛馬の処理、つまり皮革や、と畜の仕事をしてきた経緯から、「よつ」「四つ」と符号化したり、指四本で示す蔑称、侮蔑行為である。しかし、これを過剰反応して数字の「四つ」や、四本指を避けようとするメディアや企業の動向が目立つが、これこそ「四つを使うと危ない」という偏見であり、差別意識の表れであることを認識するべきである。
(p.52)屠殺場・屠殺人・屠殺業
近世身分制度の中で、「穢多」に専権として与えられてきた死牛馬の処理や皮革、と蓄といった仕事内容から、「屠殺」に関わる仕事は多くの差別を受けてきた。今日においては「屠殺場」は「と場」や「食肉センター」、「屠殺」は「と蓄」と改められている。「屠」という文字は「屠る」(ほふる)と読み、「殺す、切り裂く」という意味で、人に忌み嫌われており、差別を生んでいたからである。
(p.61)「芝浦と場見学会」の後の懇談会の席上で、と場労組の幹部はこう言っている。
「屠殺場それ自体が差別用語だとは思っていない。屠殺場という表現を使って何を表すかという問題なんです。屠殺場とはあくまでも、牛や豚をと蓄解体して食肉を作るという、それだけの意味しかない。それ以外の意味で使ってもらうことが困るんです」
(p.69)めくら、どめくら、めっかち、あきめくら
《中略》
例えば「盲縞」「盲格子」「盲長屋」等は歴史的産物であり、いずれも「モノ」に対して「盲」がつけられた言葉である。従って使用する場合は脚注なり注釈を付ければ使用してもよいと考える。しかし、「盲判」「盲打ち、盲撃ち」「盲従」「盲信」「盲蛇に怖じず」等はいずれも「人間の行為」に対し比喩として作り出された言葉であるから、使用は避けるべきと思う。
(p.77)気が狂う、○○狂、狂人に刃物、狂気の犯行
《中略》
「あいつは狂っている」「気が狂ったように笑う」「俺は気が狂いそうだ」のように、人を主語として使用する場合や、人間の行為についての表現に使用する場合は、差別性が強くなる。しかし、「時計が狂う」「予定が狂う」「建てつけが狂う」等、「物」「こと」に対して使う場合は差別表現にはならないと考えている。
(p.89)京城
《中略》
このような歴史的背景から「京城」の表現に対し、在日韓国・朝鮮人の人権団体は、植民地時代について論じたり、記述する場合、「京城(ソウル)」や「京城(現・ソウル)」と表現することは、「京城」という故障が植民地支配の三十六年間のみ存在したという点と、「京城」の呼称に象徴される植民地支配を脱する意思表示として、ソウルと命名したことが明らかにされていないので、容認できないとしている。したがって、植民地支配時代の資料等を復刻したり、引用する場合には、適切な解説、補注が必要である。植民地時代の地図等についても同様の解説が必要である。
(p.140)一九九四年二月、在ベルリン日本総領事館が、「ジプシー風グループ、スリにご注意!」の掲示を出し多くの団体から抗議される。応対した外交官から「逆に教えていただきたい。ロマ(ジプシー)と書いて日本人に理解されるのか。分かりやすく表現するにはどうすればよいのか」と反論。抗議した日本市民団体側が呆れる。
(p.159)男は仕事・女は家庭、女は愛嬌・男は度胸
伝統的な男女の役割分担に基づく表現とされ、出勤するお父さんを見送る、お母さんと赤ちゃんのようなシーンの描かれ方は男中心のイメージを固定化するので避けた方がよい。
(p.176)イスラムの聖なるものを、卑俗なものや、イスラムのタブーとされているものと、一緒に表現することは禁じられている。
一九九五年一月、フジテレビ系で放映された『タモリのスーパーボキャブラ天国スペシャル』でアラビアンナイトのパロディ「からみ(絡み)やんないと」が「イスラミック・センター・ジャパン」から抗議される。フジテレビ側は「宗教に対する理解が不足し、慎重さに欠けていた」と謝罪。同じ頃、日刊ゲンダイの風俗記事の中で、「さて今度はフーゾク店のメッカ、小岩にある韓国エステへ」と表現されていることに対し、「イスラミック・センター・ジャパン」が抗議。ゲンダイ側は謝罪。
(p.209)里親
一九九九年七月、フジテレビ系の人気番組『奇跡体験!アンビリバボー』の中で、一匹の野犬の物語が放映された。生命の大切さを訴える番組だが、犬や猫の新しい飼い主を募る際に、「里親」という発言をし、「神戸市里親の会」からフジテレビが抗議されたのである。
里親という名称は、昭和二十二年に制定された、児童福祉法第二十七条に記載され、保護者がない、または保護者に監護させることが不適当な児童を養育するもので、都道府県知事に認められた者と規定されている。
「本来なら親から全てを受け入れられ、愛され、守られているべき子供が、生父母から離れ、それでも一生懸命生きている子供たちを、精一杯愛情を持って養育している『里親』が、他の分野で使われることはとても辛いこと。家庭が恵まれなかった子供たちの事情は一人一人違う。里親という名称が他の分野で使われることにより、その言葉に傷つく子供がいることを察して欲しい」というのが抗議の理由であった。
この問題は阪神大震災のときにも発生。仮設住宅から恒久住宅への転居などで、やむを得ずペットを手放す人々のために、「成犬・成猫の里親制度」を神戸市が始めたが、神戸市里親の会からの申し入れにより「ワンワン譲渡制度」と改称した経緯があったのである。人間以外に「里親」という言葉を使うことは不適切ということだ。
(p.214~215)差別表現や不適切表現には特に規定があるわけではない。逆に規定などあってはならない。表現者は各自で、またはメディアは各社各様の考えに基づいて、判断されるべきもので、私の考え方が必ずしもスタンダードではないこともお断りしておきたい。
ではどのような基準で各自判断すればよいのかということだが、「出版・人権差別問題懇談会」十周年の記念講演で語った、井上ひさし氏の言葉は示唆に富んでいる。氏は自分の中の判断の原則として、次の四点を挙げている。
《中略》
その人がいくら努力してもしょうがないことについて、それをあれこれ言ってはいけない。自分の努力ではどうにもならないことを他人が笑う権利はないということ。そして言葉は凶器になるということ。
《中略》
言い換えは絶対によすということで、戦に負けたのになぜ『終戦』なのか、『敗戦』といわずになぜ『終戦』なのか、占領されたにもかかわらずなぜ『進駐軍』なのか。今で言えば『首切り』という大変悲惨な問題を『リストラ』に換えて経営者側、企業側に非常に有利に事を運んでいく。それから『アメリカ化』ということを『国際化』というふうに、アメリカのゲームのルールにならなきゃだめだというと反感が多いから『国際化』というふうな言葉で実体を言い換える。これと同じことは自分は絶対にやらないと決めている」
(p.221~222)
付箋をつけたワンセンテンスだけの引用では文脈がつかめない箇所が多く、いつもとは違い引用がすごく長くなってしまった。