芥川賞受賞作掲載号は毎回きちんと買っている『文藝春秋』。今売りの2009年3月号も、第140回の受賞作『ポトスライムの舟』が載っているということで購入。遅ればせながら読了した。
芥川賞受賞作を続けて読むようになったのは、綿矢りさの『蹴りたい背中』あたりからだと記憶しているが、『ポトスライムの舟』は久しぶりに〈読める〉受賞作、という読後感だった。スライス・オブ・ライフな題材を淡々と、かといって厭世感丸出しでもなく、ひとりよがりな文体でもなしに描ききっている。
それゆえ、村上龍氏の「よく書けていると思ったので受賞には反対しなかったが、推さなかった。コントロールできる世界だけを描いていると思ったからだ。」選評にもつながったりするのだが、世界の描写以前に文章として破綻している、小説というエンタテインメントの受け手を無視している、といったような受賞作に比べたらはるかに出来のいい小説だと感じた。
忙しくしているのは自分自身じゃないのかという自問が首をもたげるが、忙しくしていないと生きていけないのだ、とすぐに心のどこかが答える。家を改修しなければいけないし、毎日ごはんを食べなければいけない。暗い夜には電気をつけ、暑い夏には冷房を、寒い冬にはこたつや石油ストーブを動かせるだけの生活を維持するために。
維持して、それからどうなるんやろうなあ。わたしなんかが、生活を維持して。
(津村記久子『ポトスライムの舟』 文藝春秋2009年3月号 p.372)
沁みるなあ、このくだり。人生の本質というのは、こうなんだよな。どんなに綺麗事を言っても、皮を剥いでいけば〈維持〉という言葉に到達するのだ、とこのくだりを読んで改めて実感させられた。
それはさておき、芥川賞といえば、毎回楽しみに(失敬)しているのが、石原慎太郎氏の辛口選評。今回も辛口ぶりが光っていた。
今回の受賞作以外の作品に、反発をも含めて、読む者の感性に触れてくる何があるというのだろうか。どれも所詮は作者一人の空疎な思い込み、中には卑しいとしかいえない当てこみばかりで、うんざりさせられる。
《中略》
私としてはこの作者の次の作品を見て評価を決めたいと思っていたが、他の作品のあまりの酷さに、相対的に繰り上げての当選ということにした。
(同 p.337)
今回もやってくれました慎太郎節。
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