『岩波ジュニア新書』がわりと好きなので、図書館に行くとときどきジュニア新書コーナー(? 一緒に『ちくまプリマー』とかも置いてあるコーナー)に立ち寄って目に留まったものを借りるようにしている。
日本がとってきたハンセン病の隔離政策について少なからず関心があるので、この本も〈タイトル買い〉ならぬ〈タイトル借り〉だったわけだが、涙が出てきてしょうがなかった。当事者にしかわからない痛み(肉体的な痛みはもとより、精神的な痛みも)をここまでつまびらかにできる強さに、完全に打ちのめされてしまった。
わたしの好きな映画の一つである『砂の器』が、そのエンディングで「現在では完全に回復し、社会復帰が続いている。」としてから30年以上。それでも著者が指摘するように、ハンセン病回復者の社会復帰は100%完了していないのが現実ではないだろうか。
「この国」は史実の直視に怠惰だ。水俣病・薬害エイズなど少数者の犠牲にも極めて冷淡にふるまい、まるで少数者が声を上げないことを望んできたようにも思える。そして、多くの犠牲者が作り出され、取り返しがつかない状態になって、やっと行政方針が修正される。「らい予防法」はその典型例である。
(p.25)(注:アイスターホテル宿泊拒否事件でのハンセン病回復者への抗議の声にこと寄せて) これらは口ぎたなくののしる人も、丁重な手紙の差出人も、けっして自分の正体を明らかにしないという特徴を持っています。「一市民より」とか「国民の一人として」とか、匿名性を堅持しながら、他者がどのようなつらい状況にあろうとも、相手へのひとかけらの配慮も見せることもなく、ただ、闇雲にストレートな攻撃だけを執拗に繰り返します。自分への反論や反撃からは、ちゃんと身を守るための用意はしています。それが「匿名」という隠れ蓑の特性なのです。
(p.39)特徴的なのは、「ねたみ」「やっかみ」「ひがみ」などの貧しい社会のゆがんだ感情とも絡み合いながら、社会的被差別者をつねに自分より低い位置に存在させようとすることです。その対象者が自分より高い、社会的な位置にステップアップしようとすると、とたんにその人なりの許容度を超す存在として攻撃するようになります。
(p.41)私は邑久高等学校新良田教室の七期生で入学しました。
《中略》
教師たちは、予防衣を着て教壇に立ちました。授業を終えると、職員室の入口に常備されている消毒液で手を洗うようになっています。生徒は職員室には一切立ち入れずに、職員室の入口で教師と立ち話をするのが日常風景でした。
教師と生徒の間に立ちはだかる壁というより、人間と人間をこれでもか、これでどうだ、まだ足りないのかと引き裂くような悲鳴が聞こえていました。ハンセン病は大人には感染しないなどと口にする教師たちが、参考書購入のために私が手渡した紙幣を、消毒液に浸してガラス窓に貼り付けて乾かすのです。
(p.107~108)「偏見」は、感情が認識の段階まで高まってはじめて乗り越えられるものだと思います。
(p.129)日本政府のハンセン病対策は、病人救済というより国家の体面や治安対策を目的として出発したのです。その一つとして、一九一六(大正五)年、療養所所長に裁判をせずに患者を処罰できる、「懲戒検束権」という絶対権限を与えました。
(p.171)国は「らい予防法」の問題点を認識しながらも、政策変更によって起こる国家責任の追及や国民からの非難を避けるため、隔離政策の枠組みの堅持を図りました。その背景には、入所者の高齢化がありました。入所者の自然消滅をまって、日本のハンセン病問題に終止符を打つことができると考えました。
(p.174)
関連資料として、巻末に以下の書籍・ウェブサイトが紹介されていた。
- 『差別とハンセン病』
- 『検証・ハンセン病史』
- 『小泉官邸秘録』
- 『ここに人間あり―写真で見るハンセン病の39年』
- 『柊の垣根を越えて』
- 『世界のハンセン病』
- 『わたしたちにできること』(厚生労働省ウェブサイト)
- 『ハンセン病問題に関する検証会議報告書』