どうやら、ネット住民の間で賛否両論巻き起こっているらしい新刊。図書館の蔵書検索をしたら、新刊にしては珍しく早々に入荷していたのでさっそく借りてきた。
まずは例によって、付箋を貼った箇所を要約することとする。
- 『ウェブ進化論』に代表される梅田望夫氏の言説は、コンサルタントや研究者、ITジャーナリストになど〈頭の良い人〉にまつわる話
- 〈失言増幅装置〉であるネットのユーザーが増えたことで、世の中のコンテンツがより無難につまらなくなっていく
- ネットはプロの物書きや企業にとって、もっとも発言に自由度がない場所
- ネットで受けるネタは「テレビで一度紹介されているもの、テレビで人気があるもの、ヤフートピックスが選ぶもの」「話題にしたい部分があるもの、突っ込みどころがあるもの」
- 文章とは、人からスポットライトを浴びる才能のない人が最後に拠り所とするもの
- 多くのニュースサイトでPVの上位にくる項目は〈テレビで知ったもの〉が大半。〈新聞で見たもの〉〈雑誌で見たもの〉はほとんど皆無
- バカの意見は無視してOK。松本人志の「(硫化水素で周りを巻き込んで自殺するような)アホが死んだら別に俺はいいねん」という発言を〈問題発言〉として伝えたJ-CASTに対して、吉本興業が「ネット上の騒動についてコメントする予定はない」「放送の一部を恣意的に切り取ったJ-CASTの対応によっては法的手段を検討する」と表明したことはその一例(引用者注:この場合の〈バカ〉とはJ-CASTそのものというよりも、その報道から騒動を増幅させたネット住人をさしていると考えられる)
- ネットはクリックされてナンボ。企業にはB級ネタを発信する開き直り・割り切りが必要
- ネットは〈バカみたいなもの〉であり、人びとの正直な欲求がどろどろと蠢いている場所
- ネットでブランドを作りにくい理由は、ネットユーザーが企業のメッセージなどを気にせず〈価格と効果〉を知ることを期待しているから
- 破損の広告予算を一気にネットにシフトする必要はない。「これはネットに向いているからネットでやってみようか」とその都度判断すれば良いだけのこと
- SMAPは好きだが『世界に一つだけの花』については、若者に〈無用な夢を与えた〉という意味でかなり懐疑的。ネットがその夢を増幅する装置であると過度な期待を抱かせた
ところでこの本。
読み始めて間もなく、第1章『ネットのヘビーユーザーは、やっぱり「暇人」』の、『「怒りの代理人」がウヨウヨ、要はいじめたいだけ』に節に差しかかったところで
「この話って、森達也さんが同じようなことを言ってたなあ……」
と過去の記憶が甦ってきた。そんなことを思いつつ読み進めていったら、なんと『ご臨終メディア』(森巣博・森達也)の一節が引用されているではないか。引用すると長くなるので差し控えるが、「事件の当事者でもないのに、なぜ『当事者の立場になって考えろ』と抗議できるのか、そのメンタリティが理解できない」というのがその一節の要旨で、中川氏もその言説にのっとった主張をしているのである。
まったくその通りである。
そういう点においては、わたしは「テレビだってバカと暇人のもの」と言える気がしてならない。
もう一つ。
付箋を貼った「多くのニュースサイトでPVの上位にくる項目は〈テレビで知ったもの〉が大半。〈新聞で見たもの〉〈雑誌で見たもの〉はほとんど皆無」という点については、3月に『TOKYO GIRLS COLLECTION』に行ったときに痛切に感じたことだった。その際のエントリーにも書いたが、オーディエンスの反応というのが、明らかに
テレビでの露出度に比例している
のである。
あの会場に集っていた女性たちの属性から察するに、いまのファッション誌を賑わしているモデル、例えば西山茉希ちゃんがステージに現れたら、それはもう大変な黄色い声(死語)があがるだろうと予想していた。エビちゃん・もえちゃんに代わって『CanCam』を牽引してきた功労者なのだから。
しかし、その予想は大きく外れた。
「いや、その人、本職はファッションモデルじゃないし……」と個人的には解釈している、例えばしょこたんや安田美沙子ちゃん、しずちゃんの方がはるかにオーディエンスの食いつきがよいのだ。ネット住民が「マスゴミ」「地上波死亡フラグ」と声をあげたところで(わたしだってこのときまでは、どちらかというとその言説に賛同していたクチである)
やっぱ、テレビ強ぇよ
とシャッポ脱ぐしかないではないかこんな状況を見てしまったら。