どこかのブログにて書評を読んで借りてきた(買った、ではないので著者には申し訳ないが)。
著者はまえがきで、官僚統制的経済の溶解で〈実質的に官僚が作り運用している法律〉と〈立法の前提となっている現実社会〉に乖離が起きていると指摘し、「このような状況下で法令遵守を単純に推し進めれば、社会の混乱と矛盾が極限に達することは確実」と主張。「法令国家ではあるが法治国家ではない日本」の事例を挙げながら、その処方箋を示している。
例によって、付箋を貼った箇所を箇条書きにしてみる。
- (一般競争入札について)単純に価格競争だけが激化すれば、工事の品質や安全性に重大な問題が起きる可能性がある
- 市場の実態に即した法適用ができないのは、法執行体制の支える人材が決定的に不足しているから
- (昭和56年の)新耐震基準は導入以前の建築物には適用されていない(ので、耐震基準が〈日本の建築物が満たすべき最低限の基準〉ではなくなっている)
- 一連の〈パロマ事件〉が長年明るみに出なかったのは、監督官庁(経産省)の中で、問題の所管が複数の部局に分散していたから
- 本来人間が持っているセンシビリティを逆に削いでいるのが、現在の法令遵守の流れ
- 民から切断された官の世界は、法令の「内的世界」で自己増殖を続けているように思える
- 組織に不祥事が起きたとき、組織がすべきことは「原因を究明して再発を防止すること」であり「組織が活動する環境自体に問題があるとき、その環境を改めること」である
- 経営トップが自社製品の無謬性を信じ込むと、部下は〈重大事故につながる情報〉を上げづらくなり、事故情報は隠蔽されてしまう
中でも、強く「同感」だと思ったのは「本来人間が持っているセンシビリティを逆に削いでいるのが、現在の法令遵守の流れ」という指摘だ。「法律を守ればよい」という考えはいつしか「判断に困ったら法律に頼ればいい」という姿勢に転化し、法のすき間で起こるイレギュラーな出来事に対する判断力や価値観を失わせる結果につながるのではないだろうか。
たとえば最近、こんなニュースを目にした。
小中学生の携帯禁止、親の努力義務 石川県、条例可決へ
石川県議会の自民党会派が、小中学生に携帯電話を持たせないよう保護者に努力義務を課す条例改正案を、15日開会の6月議会に提案する。同会派は議席の過半数を占めており可決される見通しだが、県は「憲法違反のおそれもある」と慎重だ。県によると、携帯電話の所持規制に踏み込んだ条例は全国に例がないという。
《中略》
金沢市内の主婦(50)は「部活動や塾で帰りが遅くなる子に、携帯が必要な時もある。どんな場合には所持できて、どんな時はだめなのか基準を示してほしい」。
『asahi.com』 2009年6月5日付
両論併記(という建前)を誇示するためのコメントだということは差し引いても、この主婦のコメントこそ〈センシビリティをそがれた日本人〉の姿そのものではないか。
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