ども。鉄王です。

芥川賞受賞作が載るときだけキチンと買っている『文藝春秋』。今売りの2008年9月号も、楊逸さんの『時が滲む朝』が載っているということでもちろん購入の巻!です。

中国人作家の受賞ということで、石原慎太郎氏の選評にwktkしていたのですが(特亜に対する石原氏の諸処の言動から察するに)

楊逸氏の『時が滲む朝』は中国における自由化合理化希求の学生運動に参加し、天安門で挫折を強いられる学生たちの群像を描いているが、彼らの人生を左右する政治の不条理さ無慈悲さという根源的な主題についての書き込みが乏しく、単なる風俗小説の域を出ていない。文章はこなれて来てはいても、書き手がただ中国人だということだけでは文学的評価には繋がるまい。
(『文藝春秋』2008年9月号 p.366)

と、予想していたよりはマイルドな選評で拍子抜けでした。もっと、歯に衣着せぬ物言いになるかと思っていたのですが。

で、実際に読んでみての印象は、といいますと。

  • 「後半になればなるほど陰影は薄くなり、類型的な風俗小説と化していく」(宮本輝氏)
  • 「激動する時代を生きる人間の歳月をこのような書き方で描くとしたら、それは長編小説がふさわしかったろう」(黒井千次氏)

との選評がごもっともといった感じで、天安門事件のくだりを境にして失速しちゃってるなあ、という印象でした。前半で描かれた人物の〈熱さ〉と彼らを取り巻く環境の〈猥雑さ〉が後半になると疎らになっていく感じで。特に後半、日本に来てからのくだりは〈猥雑さ〉に重きを置いた展開になるとより深みが増したのでは?と思えるだけに、中途半端な感がぬぐえなかったです。黒井氏が指摘するように、この作品が長編だったらまた違った評価になっていたのではないでしょうか。