ども。鉄王です。

先日の福井新聞に、コトの本質を見誤っているではないか?と思わせる噴飯ものの記事が載っていました。

ネットの情報 そのままリポートに
学生「コピペ」広がる

 文章やデータをコピーして貼り付けるパソコン操作の「コピーアンドペースト」(コピペ)」。学生がインターネット上の情報をコピペし、そのままリポートとして提出する行為が県内でも広がっている。関係者は「ネット社会の中の情報を有効に活用するのは大切」としながらも「思考力が身に付かない」「まるで自分の考えのように表現するのは問題」と懸念を示す。
(福井新聞 2008年9月23日付)

記事自体は結構な分量なので、当事者のコメントを引いてみます。まずは、教育関係者側。

 同大(注:福井大学)教育地域科学部の塚本充教授(情報技術)は【中略】学生がコピペに走る背景として「『公開されている情報だから』と罪悪感に乏しく、モラルが十分に浸透していない。コピペをするのは一部の学生であると信じているが、学内での実情を把握する必要があるかもしれない」と語る。
(同)

 

 金沢工大知的財産科学研究センター【中略】杉光一成センター長は「ネット世代ではない年配の教官はコピペを見過ごす可能性が高い。コピペによるリポートは潜在的に広がっている」とし、「他人の考えをまるで自分の考えるように示すことが問題。検出ソフトによって学生に対する“抑止力”が働き、考える機会を与えることにつながる」と語る。
(同)

対する学生側。

 「リポート作成ははっきり言って面倒。関心のないテーマならなおさら。テーマをウィキペディア(インターネット百科事典)などのネットで検索し、コピペしている。みんなやっている」。公務員を目指す県内の大学生(二一)は打ち明ける。
(同)

 

 今春、都市圏の有名私立大学を卒業した会社員(二四)は学生時代を振り返り「課題が出ると、図書館ではなくまずパソコンに向かう。コピペがばれないように多くの文章を少しずつ引用し、言い回しを変えていた」と話す。
(同)

  

 一方で、教員志望のある男子学生のように「リポートは多いが、講義内容や関係資料を踏まえて自分なりにまとめている。コピペでは力が身に付かない」との声もある。
(同)

学生側には一応、両論併記(笑)で配慮を示した形になっているものの、教育関係者のコメントからは有り体にいうと学生を一方的に攻撃しているニュアンス、「ネット性悪説」の論調が感じられます。

ただ、こういったコピペは、メディアが違うだけで昔から存在したことではないでしょうか。試験前になると、きちんとノートをまとめてある学生を捜し出して、そのときだけのお友だちになって(!)コピーさせてもらう、みたいな。PC上で手軽にコピペできるようになったことで、たまたまこの問題が顕在化しただけで。

この問題の本質的な原因は、指導者側が〈教え惜しみ〉しているところにあると、私は捉えています。

高校の「情報」の授業や、引用文の中にあった「情報技術」の講義・演習でどういった指導が行われているのか。現時点では推測でしか語れませんが、おそらく「レポートの書き方」などといったことは体系的に教えられていないのではないでしょうか。OSやアプリケーションの使い方、その使い方を通しての実習(たとえば「Wordでチラシを作ろう」(笑)みたいな)、あるいはウェブによる情報収集の方法は指導すれども

情報の料理の方法

が指導面で不足しているのではないかと思うのです。

梅棹忠夫氏が、1969年初版の『知的生産の技術』で指摘した

学校では、ものごとをおしえすぎるといった。それとまったく矛盾するようだが、いっぽうでは、学校というものは、ひどく「おしえおしみ」をするところでもある。ある点では、ほんとうにおしえてもらいたいことを、ちっともおしえてくれないのである。
 どういうことをおしえすぎて、どういう点をおしえおしみするのか。かんたんにいえば、知識はおしえるけれど、知識の獲得のしかたは、あまりおしえてくれないのである。
(梅棹忠夫『知的生産の技術』 p.3)

という点は、40年経った今でも根本的には改められてはいないのではないでしょうか。改められているのだったら、『大学生のためのレポート・論文術』(小笠原喜康)なんて本が出るわけがないでしょう。現場の指導者の怠慢を反映している証左ということになるのですから。