ども。鉄王です。
当たり前といえば当たり前なことなんだけど、前半部分に書かれていた
彼ら(注:フリーペーパー業界の成功者)はフリーペーパーをビジネスと考えており、読者へのサービスは意識こそすれ、ジャーナリズムを標榜するなど、社会を動かすメッセージを込める使命感は、ほとんどないと言ってよい。
(p.31)
の一言には「やっぱり……」の念を禁じ得ませんでした。
仕事柄、「フリーペーパーを作りたいので協力してもらえないか」というオファーもよくいただきます。でも、それが形になることはほとんどありません。なぜなら、フリーペーパー作りを〈ビジネス〉という視点だけで進めようとしているから。「〈何かを表現したい衝動〉の帰結」としてのフリーペーパー、ではないんです。結果的に、資金的な面がクリアできずに頓挫してしまう。
フリーペーパーをビジネスと捉えること、そのものを否定するわけではないですよ。誤解なきよう。
ただ、私自身は、こう感じるんです。
どんな出版物であれ、その根底には〈何かを表現したい衝動〉というのがあってしかるべきなんじゃないか、と。
「ジャーナリズムだ!」なんて大上段に構えたものでなくてもいいんです(そもそも、マスコミが錦の御旗のようにふりかざす、その手の言説は好きじゃないし)。お金のことはもちろん大事だけど、プライオリティとしては〈衝動〉が上位にあってほしい。「フリーペーパーを作りたいので協力してもらえないか」と臨んだ打ち合わせでもこの考えを述べるわけですが、なかなか理解を示していただけないケースが大半ですね。
……ここまで書いて感じたんですが。
私が考える〈フリーペーパーのあるべき姿〉って、世間一般に認知されているフリーペーパーじゃなくて、「リトルプレス」の方なんでしょうね。入手の対価として金銭が発生しないという意味での〈フリー〉が共通しているだけで。
本屋さんやカフェ、雑貨屋さんで見かける、小さな本。
リトルプレスとは、大手の流通を通さずに個人で発行して販売している本のこと。企画から制作、販売までのすべてをひとりで、または数名のスタッフの手で行うことで、制約にとらわれることのない自由な本作りが実現しました。
(柳沢小実『リトルプレスの楽しみ』 「はじめに」より)
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