久繁哲之介『地域再生の罠 ― なぜ市民と地方は豊かになれないのか?』

ご多分に漏れず、中心市街地空洞化→中心市街地活性化事業の濫発……というループに陥っている私の故郷・福井県福井市。常々、土木事業者におもねった〈結論ありき〉の都市再生議論に辟易していたこともあり、興味深くページをめくっていった。

本書で取り上げられている〈失敗のプロセス〉が当地と合致してることしてること。ちょっと長くなるが、いつものように付箋を貼った箇所を要約しつつ抜き書きしてみる。

  • 地域再生の施策は「提供側の中高年男性」だけで策定されることが常態化しており、「消費者側」すなわち市民、とりわけ若者と女性の行動や五感に基づいたプロセスに欠けている
  • 地域再生の新施策は、地域衰退原因を社会現象(少子高齢化、車社会、商業施設郊外化など)だけの責とみなし、現行施策の問題・不適切さが問われることはほとんどない
  • 商店街活性化はたいてい「イベント事業」「空き店舗対策事業」の二つに集約される。つまり〈顧客が不足しすぎて店舗経営が成り立たないから、顧客を集める事業〉〈売り手が不足しすぎて商店街が成り立たないから、商店主を集めるための事業〉が行われている。そこには〈買い手も売り手も少なすぎて困っている商店街〉がそもそも必要なのか、という根本的な問題が横たわっている
  • 空き店舗対策を推進するのは商工会か自治体、つまり広義の〈公務員〉である。起業につきものの〈リスク〉からもっとも縁遠い公務員が市民に対し「少しばかり金融支援するから、お店を開くチャレンジをしてください」といっても市民の心に響かないのは当然
  • スローフードの本質は食ではなく〈大切な人との交流〉の一点に尽きる。だから、例えば〈まちづくり専門家〉がスローフードに取り組む地域で〈おひとりさま消費〉をしたところで、その専門家はスローフードの本質に触れ、堪能したことにはならない
  • 模倣は、資本や規模の大きい者にとって有利なビジネス
  • 顧客が発する情報には2種類ある。一つは「公言しやすい理想願望」もう一つは「現状への不満や公言しづらい悩み」である。前者なら、従来の手法に基づいた消費者調査でなんとか拾えるが、後者は消費者調査では把握できない。しかし、新たな需要を掘り起こすビジネスチャンスは後者にこそ隠されている
  • 自治体も実は前例模倣がうまくいかないことに気づいている。しかし、失敗した場合のことを考えると、前例依存ほど責任逃れが楽なものはない。責任の所在を成功事例集になすりつけることも、「他の自治体も同じ状況」と言い逃れすることもできるからだ
  • 自治体は〈連携〉という言葉を多用する。民間など外部に対しても「産学連携」というような語を持ち出して連携することを要請する。しかし、当の自治体自身、組織内に有機的なネットワークが構築されておらず、連携どころか部署間で情報交換・共有すらままならない状況
  • 土建工学者は、地方都市の街中が衰退した要因の一つとして、市役所や県庁が街中から郊外へ移転したことをよく指摘する。自治体の行政機能が中心部から出ていったために、街中の求心力が弱くなったと考えるのである。この因果関係が、コンパクトシティを推進する彼らの主張を支える前提となっている
  • コンパクトシティには中心市街地 VS 郊外という対立軸がある。中心市街地の衰退が激しい地方都市ほど「中心市街地活性化計画」策定と、コンパクトシティ導入がセットで連動されることになる
  • 都市政策は、市民のライフスタイルを尊重して導かれるものである。日本のように、専門家が夢想した青写真のような都市政策に市民が合わせることを強要されるものではない
  • 地域再生の罠を「地域再生関係者」「土建工学者」「自治体」という三つの視点から見てみると地域再生関係者……▽大型商業施設に依存▽大都市への憧れが強い▽ないものねだり▽経済的な豊かさだけを求める▽地域資源や心の豊かさを見失う▽成功事例などのハウツー論に飛びつく
    土建工学者……▽成功事例の模倣を推奨する▽成功事例の多くは実は成功していない▽まれにある成功事例は「遠い過去か異国」のもの▽器を先に作り、市民がそれに合わせることを強要
    自治体……▽上から目線の「成功事例」に価値を置く▽市民目線や顧客志向に欠ける▽前例主義で〈成功していない成功事例〉を踏襲▽部門間の縦割り主義▽他組織の他施策との整合性に欠けるといった現状と問題がある
  • 市民と地域が豊かになるには、地域づくりの計画や意思決定を「土建工学者など上から下ろす」仕組みから「市民が主体となる」仕組みに改める必要がある
  • 若者は、▽私益より公益を重視▽経済利益より人との交流▽立身出世より対等で心地よい交流――を求める。その交流は〈心のよりどころとなる居場所〉にこそ芽生える
  • 地域再生の目的が〈市民の幸せ〉にあるのか〈地域の成功〉にあるのか、今一度見直すべきである。なぜなら、地域づくりの専門家、言い換えれば中高年男性は〈経済的な豊かさ〉という〈成功〉にとりつかれているからである
  • 今の学生たちにとってのたまり場は、主にコンビニやファストフード店といった大資本チェーン店。そうした店を愛して育った若者に、地域再生に欠かせない〈郷土愛〉が育つだろうか。そうした若者に、成人してからいきなり「地域を愛せ、地酒を飲め」といっても遅い
  • いわゆる中心市街地には、景気回復(=箱物需要回復)を待つ地主たちによる青空駐車場があふれている。街中にまとまった土地を持つ人が、私益を求める暫定措置を決め込み、土地を公益のために活用する意思がないのは大きな問題
  • 街中のシャッター商店が改築しない(=用地転用しない)主な理由は、宅地や更地に比べ、商店という事業用地が相続税などの税制面で優遇されていることにある。つまり、一等地に土地を所有するものが私益を求めるのに格好の節税対策になるというわけだ

今このときも「中心市街地活性化」と称して、〈まちなかに賑わいを創出する〉ための事業が計画されていると思う。しかしよく考えてほしいのは、そもそも〈中心市街地〉とはどういうエリアを指すのか、ということだ。

例えば当地においては、明治時代の福井駅の開業によって、街の中心が旧北国街道沿いの呉服町界隈から約1km東方の福井駅周辺へと移動した。さらに今は郊外の国道8号線沿いに商業施設が濫立している状況にある。街の中心は時代の流れで動く性質をもっているのである。そのことを少しでも関係者が認識してくれれば、地方の鉄道が市民の足としてまだ根付いており、駅が交通の要衝として機能していた時代=高度成長時代の成功体験に拘泥している現在の中心市街地再生議論が、いかに近現代の街の歴史を無視したものであるか理解できるだろうに、と思う。

最後に、関連書籍として本書で触れられていたタイトルを並べておく。

  • 久繁哲之介『日本版スローシティ』
  • 広瀬盛行監修『住みよい街ベスト50』

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